冬の贈り物
六青みつみ
❄️ 大陸公用歴三六〇〇年 十二月 ❄️
贈り物を考えるのは、その相手のことを深く考えるのに等しいと思う。
アルシェラタンでは冬至祭に行われる特別な風習があるのだと、ルルが知ったのは今から三年前。
記憶がないままクラウスと婚姻の儀を挙げ、王侶に据えられた年の冬。――正確には、その年の冬至祭当日のことだった。
その頃には記憶ももどり、翼神復活のためという名目で契りも交わし終わっていて、わだかまりが全部消えたわけではないけれど、自分にとってクラウスが大切な存在だということは、骨身に沁みて思い知っていた頃だ。
翼神が復活しない代わりに、朝から晩まで対聖堂院戦に向けた準備に忙殺されていたルルは、冬至祭の当日、クラウスから手の込んだ細工菓子の詰め合わせをもらって、驚きつつも大喜びした。
「うわぁ…! 可愛い! きれい!」
繊細な模様が描かれた両開きの箱を開けると、小さく仕切られた二十ほどの枡目のなかに、色とりどりの菓子がずらりと並んでいた。どれも目を瞠るほど精巧な細工が施されている。
花や植物、雪の結晶や星や風景、幾何学模様など、色をつけた砂糖や乳脂、南国から輸入している貴重な加加阿で彩られているものもある。
ひとつひとつが宝石のように美しく、良い匂いがして、見ているだけでうっとりと夢見心地になってしまう。
「美味しそう…! でも食べちゃうの、もったいないね」
雪花を模した青白い菓子を手に取って眼前に掲げると、その向こうに、にこにこと嬉しそうに微笑むクラウスの顔が見えた。
「下の段に同じものがもうひとつずつあるから、安心して味見してみるといい」
食いしん坊なルルの気持ちを先取りした答えに、胸がふわっとふくらむように温かくなる。
「――うん。ありがとう…。いただきます」
雪花を模した菓子はサクッと軽い歯ごたえで、口のなかでふわりと甘く融けた。鼻から抜けるように、爽やかで澄んだ香味が広がる。
「んん…っ! おいしい…!」
豊潤な旨味が零れてしまわないよう、ルルは思わず唇に手をあてながらつぶやいて、残りの半分を口にふくみ、惜しむように甘さと香りを堪能した。
「んふー…――」
続けてふたつ目――野苺を模した半透明の赤い菓子――に手が伸びそうになったけれど、ルルはクラウスの視線に気づいてふと顔を上げた。
クラウスはにこにこと嬉しそうに微笑んでいる。ルルが贈り物を喜び、味わっていることが嬉しくて、心から満足しているようだ。
けれどその瞳に、嬉しさとは別の感情が見え隠れしている。
そわそわとした、どこか期待に満ちた雰囲気。
表情にも仕草にも出していないけれど、再会する前も含めれば、一年以上いっしょに過ごしたからこそ理解できる。
これは、なにかを期待している気配だ。でも、なにを?
「――?」
クラウスを見上げたままルルが思わず小首を傾げると、クラウスはハッと我に返ったように表情を改め、周囲に放出していた気配を素早く消して小さく咳払いする。
「んっ、んっ、いや…なんでもない。気にしないでくれ」
と、気になる言葉を残して政務のために部屋から出ていく。
ひとり残されたルルは、卓の上に置かれた箱詰めの菓子を見下ろしてから、答えを求めるように視線をめぐらせた。
「フォニカ」
「はい」
居室の隅にひっそり控えていた侍従に目配せすると、フォニカはそれだけでルルの疑問を理解したらしい。音もなく近づいてくると、申し訳なさそうにまぶたを伏せて頭を垂れた。
「申し訳ありません。私の落ち度です」
「へ?」
僕はさっきのクラウスの態度の意味がなんなのか尋ねたかっただけなのに。どうして謝られるんだろう?
二重になった疑問にルルが首を大きく傾げると、フォニカが衝撃の事実を教えてくれた。
「アルシェラタンの冬至祭では、親しい人との間で贈り物を贈り合う風習があるのです」
「え…っ」
「新年祭のように家族や親族、友人知人などにも大々的に贈るのとはちがい、冬至祭では極々親しい限られた人とだけ贈り物を交わすのです。特に仲の良い家族とか、恋人とか夫婦とか」
「えぇ…?」
どうしてそんな大切なことを…――!
「申し訳ありません。ルル様はずっと毎日毎晩なにか根を詰めて作業していらっしゃったので、てっきりこの風習のことはもうご存知で、陛下への贈り物を準備しているのだとばかり…」
「それは…」
夏からずっと、朝から晩まで護身術訓練と癒しの力を転化した護符作りや携帯食、防護壁の作り方の訓練に勤しんでいたルルの行動を、フォニカは都合良く解釈していたらしい。
「――…確かに、フォニカを退がらせてから夜遅くまで簡易文字の考案とか携帯食の研究とかしてたから、誤解されてもおかしくないけど…」
「私には内緒で、陛下への贈り物を作っているとばかり――」
「あー…」
「申し訳ありません…! 侍従失格です。今から急いで陛下への贈り物を用意するために、従僕一同総出で協力しますので」
おろおろと動揺するフォニカを見て、却ってルルは落ちついてきた。
「謝らなくていい。僕もうっかりしてた。クラウスからはしょっちゅう贈り物をもらっていたから、さっきのこれもその延長だと思い込んじゃって」
だから先ほど、クラウスがどこか物欲しげな気配をただよわせていた意味がとっさにわからなかった。
これまでも山のようにたくさんの贈り物をもらったけれど、その場で見返りやお礼を求められたことはなかったから。
「でも、そんな風習があったなら、急いでクラウスへの贈り物を考えなくちゃ」
ルルは立ち上がりながら、窓から射し込む朝陽を弾いてきらきらと輝く細工菓子の箱詰めをじっと見下ろした。
これだけ手の込んだ細工菓子を作るのに、彼はどれだけ時間をかけただろう。もちろん菓子を焼いたり成形するのは厨房の料理長だろうけど、飾りの意匠や素材の組み合わせ、色とか香り、風味なんかは絶対にクラウスが考えてる。
――だってどれも、僕の大好物ばかりなんだよね。
クラウスは王になるべく育てられた人物らしく、他者を使うのがうまい。忙しい政務の合間を縫って材料を吟味し、厨房の料理長にあれこれ指示して、試作品を作らせてきた姿が目に浮かぶようだ。
『ルルの好みは、もっと甘味が強く酸味も効いたものだ』
『糖蜜は特に好物だから、ふんだんに使ってくれ』
琥珀を模した蜜飴のなかに花が封じ込められた菓子を手にとり、口中に含むと、真冬にもかかわらず春の香気がふわりと広がる。クラウスが自分に捧げてくれる愛情と誠意とともに。
「――…」
ルルはぐっと目を閉じ、クラウスが一番喜ぶ贈り物はなんだろうと考えた。けれど――。
情けないことに、すぐには思い浮かばなくて驚いた。
服とか装身具とか馬とか剣、銘酒とか山海の美味など、ぱっと思いつくものでクラウスが特別に喜びそうなものがない。
なぜなら彼はアルシェラタンの王様で、どんな物でも国で一番良質なものを普段から贈られたり入手できる立場だからだ。
「物がダメなら、歌…踊り、楽器の演奏――」
ブツブツと独り言をつぶやきながら、次々と却下してゆく。
どれも王侶教育の一環として少しだけ手ほどきは受けたけれど、対聖堂院戦の準備であとまわしになっている。ルルの技量は、毎日技を磨いている本職の芸に比べたら児戯に等しい。
それでもクラウスのために作った詩を吟じれば、きっと喜んでくれるだろう。でも、そんな付け焼き刃な即興はダメだ。
――だいたい僕の詩とか歌、上手いって褒められたことないし。
「クラウスの好きなもの…。クラウスが喜ぶもの…」
さらに考えていくうちに、ルルは自分があまりクラウスの私的な部分をまだ深く知らないことに気づいて愕然とした。
「基本的に食べ物の好き嫌いってないみたいだし。なにかに強く執着して収集してるものも――…あ、もしかして古文書? 古代の遺跡関係? でも、そんなのすぐ手に入らないし」
クラウスの書斎には古代の遺構や伝説に関する書物や記録がたくさんあった。けれど特にそれを好んで収集している気配は感じられない。贈っても、喜んでもらえる自信がない。
――困った。せめてもっと前に風習のことを知っていたら、調査や準備ができたのに。
「フォニカ!」
「はい!」
「クラウスが。今もらって一番喜ぶものってなんだと思う?」
ひとりで悩んでいても時間がもったいない。こういう時は有能な侍従に助けを求めるにかぎる。
有能なフォニカの答えは、
「ルル様が陛下のために考えて贈られるものでしたら、なんでも喜ばれますよ。例えば、温室の花を見繕って贈るとか」
なんと、自分の考えと似たり寄ったりでルルは驚いた。
「花…。女性なら喜びそうだけど、クラウスが喜ぶかなぁ」
ルルが眉根を寄せて首を傾げると、フォニカはにこにこと微笑んで「大丈夫ですよ」と太鼓判を押す。
このときフォニカは心のなかで(口に咥えるとか、髪に一、二輪挿して褥で待ちかまえていたら、大喜びだと思いますよ)などと考えていたのだが、不遜になるので口には出さなかった。
代わりに無難な提案をする。
「時間があれば、陛下のお召し物の一部を手作りなさるのも、王侶殿下のお立場として伝統的な贈り物のひとつです」
「あ…、うん…。でも」
「今日中にご用意しなければなりませんから、この案は却下ですね」
ふう…と申し訳なさそうにまぶたを伏せるフォニカに、『時間があっても服を作るの、僕はちょっと無理かもしれない。そりゃクラウスが喜ぶならがんばるけど。ズタ袋みたいな上着とか、王様に着せるわけにはいかないでしょ』と言い出せないまま、ルルは「う~ん」と頭をひねり、フォニカとふたりでああでもないこうでもないといくつか案を出し合った。
To be continued.
2023年2月5日 禁無断転載
2023年2月13日webでの全文公開終了
2023年3月31日『BLアワード2023【BEST小説部門】ランクイン記念』期間限定再公開
2023年5月20日webでの全文公開終了
イラスト:稲荷家房之介先生にご提供いただきました/禁無断転載